バナナの思い出

あの時食べたバナナの種類は知らないが、間違いなく台湾バナナだった。

子供の頃はバナナは高級果物で、貧乏人の我が家ではめったに口にできな

いものだった。しかしある時、酒に酔った父は両手いっぱいの新聞紙にく

るまれたバナナを持って家に帰ってきた。 台湾バナナを一番喜んだのは、

勿論、台湾育ちの母である。家では殆ど見ることがない高級果物バナナが、

今日も明日も食べられる程あることは、子供心にも誇らしくて、嬉しくて、

いっぺんにお金持ちになった様な気分になっていた。

bana

しかし、後日、多くのバナナが我が家に転がり込んだ理由が解った。当時日本

で流行した赤痢の原因はどうも台湾から輸入されたバナナらしいと噂が流れ、

新聞にも出ていたらしい。業者は台湾バナナの在庫を、捨てるよりはましと、

貧乏人でも買える値段で叩き売り処分したのである。それで父もバナナが買え

たのである。うちでは安売りの原因が分かった時には、全てのバナナを食べ終

っていたが幸いにも誰一人、赤痢を発症しなかった。しかし、当時世間では誰

もが赤痢を恐れて台湾バナナなど食べていなかったらしい。 我が家では命を

賭けた危険なバナナでロシアンルーレットをしていたことになる。

今思えば、ひどい事をする父だったなぁ…。

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jijipota について

ロサンジェルスに住み始めて丸36年。人生の半分以上が米国生活の60代日暮れ時。ちょっと前までは仕事が趣味だったが58の時に大病を患った。自転車に乗ってほっつき歩くことと食べ歩くことがが趣味。2016年日本に帰国。日本独特のウエットなストレスには疲れてしょうがない。2015年までのブログは https://mh020827.wordpress.com/ 興味のある人はご覧あれ。
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バナナの思い出 への2件のフィードバック

  1. 真由美 より:

    台湾バナナの存在を知ったのは大人になってからです。
    私のバナナの思い出は当時超貴重だったので
    母はゴミ出しの時、バナナの皮を1番上にして「バナナを食べたのよ!」
    アピールしていました (^_-)

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  2. jijipota より:

    こんにちは真由美さん。真由美さんのお母さんはなかなかお茶目ですね。そういうの私は好きです。台湾バナナを知ったのはおとなになってからとは随分遅かったですねぇ。私は多分母のせいで早くから知ってました。

    いいね

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